Ray Ban(レイバン)
ドイツからアメリカ合衆国へ移民してきた2人の青年の野望から始まった。アメリカでの成功を夢見ており、眼鏡職人として働き、眼鏡の輸入販売を行っていたジョン・ジェイコブ・ボシュに、当時家具職人として成功していたヘンリー・ロムが60ドルを出資、この資金を元手にボシュは眼鏡店を開業するが、当初の経営状態は必ずしも良好とはいえなかった。
ある日ボシュが道端に転がっていた硬質ゴムのかけらを拾い、「この素材を眼鏡のフレームに使うことはできないだろうか?」と考えたことにより事業は好転する。当時眼鏡フレームとして一般的だったのはアメリカ産の動物の角であったが、衝撃などに対して非常にもろいという欠点があった。一方で生ゴムに硫黄を30~40%加えて硬化させることにより製造される硬質ゴムは、軽く丈夫で、それまでの角でできたフレームとは比べ物にならない高い品質を誇っていた。後に「バルカナイト」と呼ばれることになるこの素材が、ボシュロム社 (英語: Bausch & Lomb) の基盤を築くことになったのである。
1866年になると、それまでの「ジェイ・ジェイ・ボシュ・アンド・カンパニー」という社名を「バルカナイト・オプティカル・インストゥルメント・カンパニー」と改名。バルカナイト製フレームは爆発的なヒット商品となり、彼らの会社を一躍有名にした。その後、1874年には光学分野にも進出し、顕微鏡の製造を開始。さらに写真機用レンズの製造も手掛けるようになると社名を「ボシュロム・オプティカル・カンパニー」に変えたが、この頃には眼鏡フレームのみならず、様々な分野で成功を収める優良企業へと成長し、アメリカでもトップレベルの光学メーカーに成長した。そうして間もなく、ボシュロム社はパイロット用サングラスの開発を手掛けることになる。
依頼してきたのは、1923年5月に北米大陸無着陸横断飛行に成功したアメリカ陸軍航空隊中尉のジョン・マクレディ(英語版)であった。マクレディは飛行中に高空域における強烈な太陽光線を浴びることで、それを原因とする眼球疲労と視力低下、そして頭痛、吐き気に襲われるという悩みを持っていた。この経験から、マクレディ中尉はボシュロム社にパイロット用のサングラスの開発を依頼した。それ以前にもパイロット用のゴーグルやサングラスは存在していたが、その多くは単なる風避けが目的であったり、眩しさをごまかす色ガラス付きの眼鏡に過ぎない代物であった。劣悪な状況で飛行しなければならない飛行士を救うために、ボシュロム社はパイロット用のサングラスの研究開発をスタートさせた。しかしながら、目を太陽の紫外線から保護しつつ、対象物をしっかりと見ることのできる高い視認性を保持するレンズの開発は難航し、完成までに6年という長い年月を費やすこととなる。
こうして1929年に誕生したパイロット用のサングラスには、後に「レイバン・グリーン」と呼ばれ人気となったグリーンのレンズ[注釈 2]が採用され、フレームも後のサングラスのデザインに大きな影響を与えることになる「ティアドロップ・シェイプ」を採用。翌1930年には、アメリカ陸軍航空隊がこのモデルを「アビエーター・モデル」として制式に採用した。これによりサングラスはパイロットを象徴する存在となり、アメリカの強大な航空技術を背景に、世界中の空を駆け巡ることとなった。
レイバンの誕生
「アビエーター・モデル」が一般の人々にも知られるようになると、1936年にアビエーター・モデルは「クラシックメタル」として一般にも発売されるようになり、1937年にはアメリカ陸軍航空隊の委託で「光線を遮断する」という意味の「レイバン」というブランドが創立された。「光学的に眼を守らなければ、サングラスとは呼べない」が設立時の基本コンセプトで、「紫外線100%カット」をはじめとする機能性重視のモデルが多かった。
1986年に、アメリカン・ファッション・デザイナー協議会から世界最高級のサングラス(The World’s Finest Sunglasses)の称号を得ている。
現在では、オプティカル、サングラスを展開する、誰もが知る伝説的ビッグブランドである。